あー。やっと自宅PCの前に座ることが・・・・(泣)。
いや、さほど忙しかったわけでもなかったし、体調がバカ悪だったわけでもないんですが、しばらくサボらせていただきました。
見に来てくれてた方々、長いこと代わり映えしなくてゴメンナサイ。

『無理に』書きたくなかったんです。

芝居やってたときも週一回、似たような感じでもうちょっと長めの独り言をHPで(あ、劇団のです)書いていたんだけど、活動が苦痛になるにつれて、週一回のモノ書きが『義務』になっていくのがつらくて仕方なかったんですよ。書けば書いたで、アップする度に、内容に関して校正めいたものが入るのもイヤだったし。
書きたいときに書きたいことを書きたいように書きたくて、このページを始めたわけでしたので。これからも、こうして他人様には『?』なペースで書き続けるつもり・・・・・。

あ〜、もう! 毎回言い訳ばっかりだな!
一体、誰に許しを請うているのだ、あたしは?!
『あたしは、あたし。好きにさせて!』と開き直りきれないのが、あたしの欠点! 常に誰かの顔色を窺っているというかな!

はてさて。唐突に本題。
昨日、ドラマ『アルジャーノンに花束を』を見ていて、思ったんだけど。
『言葉』の持つパワーってすごいね。

原作も読んでいないので(心理学科卒としては致命的か・・・?)うろ覚えですが、ユースケ演じる主人公の『ハル』は元々は精神発達遅滞(だと思うんだけど。初回から観ていないので良く分からない)なのが、実験で受けた脳外科手術が成功し突然に天才レベルの人間になる。が、それは悲しくも一時的なもので、次第にまた、知能は下がり始めて元の知能レベルへと戻ってしまうのであった・・・。ま、そんな話。(いい加減な!)

で、ですね。
前に私がこのドラマを観たのは、ハルの知能が最高潮のときだったんですけど、このユースケが、まぁ、嫌みというか不愉快というか・・・・も〜うか〜な〜り〜、鼻持ちのならない顔と雰囲気を醸し出していましてですね、話す言葉とかも悪意に充ち満ちており、観ていてほんっとに嫌な気分にさせられたんですよね。この時点では、魅かれるものも、感動もなかった。

そして、昨日。何となくTVを点けたらやっていたので、特に気も入れずに観ていたのに、気付いたらグイグイ引き込まれてた。
知能が下がり始めて、ついに普通の成人男性レベルまで落ちたハル。この先、自分の知能は落ち続けるだけなのだと知ったハル。絶望と苦しみを味わい、それを受け止め、乗り越え、そして、初めて周りの人々のことが見えるようになったハル。
以前とは、顔が違っていた。
柔らかく、穏やかで、そこには、あたしをあんなに不快にさせたユースケは、影も形もなかった。

どうしてだろう? と考えて・・・・『使う言葉が優しいからだ』と私は思ったんです。

知能が高いときは周りを見下して、ゴーマンな言葉を吐いていた彼が、普通の知能になって、人のことを思いやるようになり、柔らかい言葉で話すようになった。そうしたら顔が変わった。雰囲気が変わった。
優しい言葉は、優しい顔を作る。

いや、ユースケの演技の善し悪しもあったんだと思うよ。『天才』よりも、普通の知能の、優しい演技の方が、彼に向いていたのかもしれないけどね。
でも、それ以上に、彼の使う『言葉』の違いが、差を生み出したんじゃないかと思うの。
『言葉』が、人格を、キャラクターを作るんじゃないかなぁ、と。

これって、演劇に限ったことじゃないと思うのね。例えば、私よく使うんだけど『私なんか』っていう卑下の表現。卑下してるから『私なんか』って言うんじゃなくて、『私なんか』って言葉を使うから、卑下が生まれる。それを繰り返すことによって、どんどんどんどん、それが根付いて『低い自分』を育ててしまう。そして、本当に『低い自分』になってしまう。

言霊ってあると思う。
言葉には絶対に何かが宿っている。

強く強くそれを実感してしまったのでした。

とりあえず、なるべく『優しい言葉』を使おうと思って、勉強にスピッツのアルバムを買ってみた私ですが(笑)、効果の程は・・・・乞うご期待!

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